組織罰の必要性(2)

■組織罰はなぜ必要なのでしょうか(2)

平成29年4月10日
組織罰を実現する会顧問・弁護士 安原 浩

組織罰という聞き慣れない罰則の新設を粘り強く訴えている人たちがいます。

1 どんな人たちが組織罰の実現を目指しているのでしょうか

寒風吹きすさぶ中、あるいは猛暑の中でも駅頭などに立ち、通行する多くの人たちに組織罰の必要性を訴え、宣伝ビラを配り、署名をお願いしています。

この人たちは、福知山線脱線事故や笹子トンネル天井崩落事故などにより、大切な家族を失った遺族の方々とその支援者です。4月8日に当会が開催したシンポジウムには、関越自動車道高速バス事故の遺族の方、軽井沢スキーバス転落事故の遺族の方も参加され、賛同の意向を表明されました。

また、そのシンポでは、軽井沢スキーバス転落事故でゼミ生を4人失われた尾木直樹法政大学教授からも、そのときの驚き、悲しみ、負傷した学生らが今なお自責の念に苦しんでいる様子などのお話とともに、組織罰創設に強いご支援のお言葉をいただきました。

2 どのような思いで遺族の方々は頑張っているのでしょうか

駅頭などの活動の結果、組織罰新設に2500名以上の皆さんの賛同署名をいただいておりますが、まだまだ多いとはいえず、ビラに全く関心を持たれない方、署名簿の前を足早に通り過ぎる方も少なくなく、世間の関心を集めているとまではいえないのが現状です。また、立法のため国会を動かすには足りないと痛感しております。しかし、遺族の方々は、そのような厳しい現状の中でも、諦めず今後も粘り強く運動を継続しようと考えております。

それは、肉親を失った悲しみや悔しさ、怒りは、年月の経過によって次第に薄れていくものではないからです。

誰しも、発生した悲しい結果を認めざるを得ないことは間違いありませんが、残された遺族にとって、事故を発生させた側の誠意ある謝罪や賠償、事故原因を究明した上での再発防止策の実現など、家族の死が全くの無駄死ではなかった思える場合には、時の経過が遺族の思いを和らげることはあり得ます。

しかしながら、加害者側が遺族に納得できる対応をしなかった場合には、遺族の思いは時の経過によって和らぐことはなく、かえって強まるものなのです。

3 組織罰は遺族だけに必要なものでしょうか

かつて、藤木英雄東大教授(故人)は、「科学技術の成果のもたらす大きな災害事故、交通事故、産業廃棄物による公害、工場等の爆発事故、建築事故、さらには医療事故、薬品や食品の事故など、各種の災害事故という災厄を防止するために、-中略-事前規制の網をくぐって発生する現実の危害に対しては、将来を戒めるという趣旨で、刑罰を用いることも必要である。-中略-(刑法の過失犯関する規定は)単なる個人行動ではなく、システム化され組織化された活動として行われる企業活動のもつ破壊力から共同生活の安全を守る、ひとつの重要な手段としての役割を担わされることになったのである。」と主張されました(藤木英雄編著「過失犯-新旧過失論争-」13-14頁・学陽書房・昭和50年刊)。

藤木教授は、このような危機意識を前提に、悲惨な結果を前もって具体的に予見できたか否かを中心に考えてきた従来の過失犯の解釈(具体的予見可能性説)に反対し、事故を具体的に予見できなくても、重大事故が発生するかも知れないと予見(危惧感)でき、あらかじめ事故を回避できる態勢などを容易に構築できたのに、そのような態勢をとらなかった場合には、過失犯として処罰すると解釈すべきであるとの新過失理論(回避可能性説)を提唱されました。しかし、この説は森永ヒ素ミルク事件の判例で採用されたこともありましたが、結局、過失犯の範囲を拡大しすぎるとの反対論から、いまだに通説判例とはなっていません。

それでは、藤木教授の危機意識から約42年後の現代は、企業活動による大規模災害から共同生活の安全が守られているといえるのでしょうか。藤木教授の危機意識は誤っていたのでしょうか。

逆に、原発事故に代表されるような悲惨な企業災害は、ますます増加し、深刻化しているのではないでしょうか。

現実に被害に遭われた遺族方々の思いは、個人的な悲しみ、悔しさにとどまらず、人生を一瞬にして暗転させてしまうような思いを、他の人たちに決して味あわせてはならない、との気持ちも強いのです。

それは、企業活動と科学技術の高度化に対し、そのマイナス面(大規模災害の発生の危険)の抑制技術や理論が決定的に遅れている日本社会では、決して杞憂ではありません。

社会の共同生活の安全を確保する責任がある国は、一刻も早く、大規模災害の発生を未然に抑制するための法整備をはかるべきと考えます。

4 組織罰は有効な方法といえるでしょうか

われわれは、企業などの組織の安全対策の手抜きが原因と考えられる事故により死者が発生した場合には、事案に応じて企業等の組織に高額の罰金を科す法制度(組織罰)の創設を主張しています。

これまでにも、事故発生の引き金となった現場の労働者とともにその雇用主や企業に罰金を科す制度(両罰規定)は存在しました。従って、死者が発生した重大事故に限り、過失の認められる従業者とともに企業にも罰金を科す制度は、格別目新しいものではなく、法律上の問題点はありません。前記新旧過失論の論争に巻き込まれることもありません。

しかし、これまでの両罰規定の罰金額の上限は、おおむね低額で企業活動に痛痒を与えるものではありませんでした。

これに対して、企業活動にリスクを感じさせるだけの高額の罰金(例えば、資本金額や企業の前年度の資産額を上限とするなど)を科せば、企業は安全対策に十分な人の配置と投資をせざるを得なくなり、企業事故の発生が抑制できると考えられます。

組織罰の制度は、利潤獲得のために、企業活動の拡大と高度化をはかる企業に対する、重大な警告となるはずです。

藤木教授と同様、刑罰のみで、事故抑制ができるとは考えられませんが、一つの有力な方法といえるのではないでしょうか。

5 どうすれば実現するのでしょうか

「組織罰を実現する会」では、さらに署名集めやシンポ開催などの広報活動を続け、できるだ多くの方にご賛同頂くよう努力したいと考えております。

また、いろいろな態様の事故の被害者遺族の方々と連帯を図り、運動の幅を広げ、さらに多くの方のご理解とご支援を得たいと考えおります。

ホームページをご覧の皆様には、電子署名の方法もありますので、できるだけ多く周りの方広めていただき、賛同署名をいただけば幸いです。

われわれとしては、なんとか年内には国会議員に対する働きかけを具体化したいと思っております。

また、高額の罰金を科する具体的法制度の詳細についても、協力弁護士、研究者等を交えて検討を続ける予定です。

このような罰則の新設に消極的と考えられる企業側には、企業の社会的責任、すなわち、企業活動の結果、社会に多くの利便がもたらされ、多大な利潤が得られる反面として、社会に対して危害を及ぼす危険のある企業活動には、事前に十分な事故回避措置をとっておくのが共同社会の一員である企業として当然の責任であり、賢明な経営者のとるべき態度であること、すなわち組織罰は、企業が共同社会の一員とし発展存続するためにも必要であることを強調していきたいと考えております。