

組織罰について
組織罰とは
「組織罰」とは、安全管理上の過失により、人の死傷という重大な結果を発生させた企業・法人や国・地方公共団体所有の事業組織(以下、「企業・団体」という)に、 高額な罰金を科すなどして安全管理の重要性を認識させ、 二度と同様の事故を起こさせないように対策を迫ることを目的とした、組織を場する刑事罰です。
組織罰の必要性
01
わたしたちが目指すもの
わたしたちがめざす組織罰の内容
1
両罰規定の特別法として「個人にしか問えない業務上過失致死罪を法人にも問えるようにする法律」を創設する。
2
条文の内容は以下のとおりとする。
第1条
法人の業務において発生した事故に関して、代表者又は代理人,使用人その他の従業者が 刑法211条の罪を犯し、人を死亡させたときは、法人を500万円以下の罰金刑に処する。
第2条
前条の罰金は、国及び地方公共団体を除き、当該会社の前事業年度における純資産額に相当する金額以下とすることができる。
第3条
前項の罰金は、代表者の前年度の所得の3倍に相当する金額以下とすることができる。
3
説明
(1)
重大事故の責任を問うものであるため、人の死亡の結果が生じた事故を対象とする。
(2)
「法人」には、国や地方公共団体も含む。法人格のない団体は対象外とする。
(3)
「法人の業務において発生した事故」を対象とする。その組織における安全確保のためのコンプライアンス対応が社会通念に照らして事故を防止する十分なものであったにもかかわらず、 予測困難な逸脱行為によって事故が発生した場合には、その組織を免責することが相当と考えられる。 そこで、そのような行為による事故は、「法人の業務において」発生した事故とは認められないとして、処罰の対象から除外する。
(4)
安全確保のためのコンプライアンスが十分であったことの立証責任は、組織側に課すこととする。 組織側に積極的な立証が促されることにより、安全確保に向けた平素からの努力が促進されると共に、 真相解明にもつながっていくことが期待される。
(5)
罰金額は、会社等の一般的な法人の場合と、地方自治体等の公法人の場合とで上限に差異を設ける。 一般の法人についてはその純資産額を上限とし、資力に応じた処罰を行えるようにする。これに対し、地方自治体等の公法人の場合には、 罰金は最終的に納税者の負担となるので、法人重課の対象とはしない(上限500万円)。 ただし、法人が処罰されることで、法人内部において適切な責任追及が行われることを予定する。
4
組織に求めるのは刑事責任であり、当然、これとは別に民事責任や社会責任を果たしていく必要がある。
5
目指す両罰規定は、既存の規定と同様に、代表者や従業員に個人過失があった場合に、組織の責任を問う。
また、従来通りの具体的予見可能性などの判断による。
わたしたちが見直しを求める刑事司法の実務
1
過失犯について、具体的予見可能性に固執せず、常識を重んじて、合理的危険が予見できれば処罰できるよう、判断のあり方を改めること。
2
予見可能性を考えるにあたり科学的な考察を重視すること。
3
刑事訴訟法の手続きのあり方は、被害者も納得できるように改めること。
4
捜査にあたっては、事故調査活動の重要性を尊重し、相互に独立性を重んじ協力できる関係性を構築すること。
5
将来的には、法人処罰については、英国の法人故殺罪など新たな仕組みに発展するよう研究と検討を進めること。
02
組織罰の必要性(1)
組織罰はなぜ必要なのでしょうか
組織罰を実現する会 顧問・弁護士 安原 浩
組織罰はなぜ必要なのでしょうか?
疑問はもっともです。
そもそも組織罰という言葉自体聞き慣れないうえ、意味もわかりにくいかと思います。
それは我が国にこれまでなかった新たな刑罰を設けようとしているからです。
日本の刑罰は、伝統的に個人を処罰することを原則としてきました。
確かに、社会に絶えず発生する故意による犯罪や過失による事故(例えば交通事故)では、現在でも個人の役割が大きいのは事実です。
しかし、過失による事故のうち、一度に多数の死傷者が発生するような大事故においては、むしろ企業や組織の果たす役割の方が個人より大きくなっているのが現代の特徴ではないでしょうか。
JR西日本福知山線脱線事故のような巨大事故のみならず、軽井沢バス転落事故や笹子トンネル天井板崩落事故のような巨大とまではいえない事故でも、
その発生の原因が単に運転手あるいは安全管理者個人の注意力不足のみと考えることはできません。
そこには企業利益の確保のために安全性を軽視する企業風土があったと考えるのが自然です。
企業活動は、私たちの社会に大きな便益を与えてくれていますが、他方、必然的に社会に対し危険をもたらす存在でもあります。
従って、安全性を軽視する企業風土を改めない限り、人の生命を奪うような悲惨な事故の予防や再発防止はできないといえます。
また、安全性を軽視した企業活動の結果、犠牲となった方の遺族の無念の思いは容易に回復しがたいほど深く重いものがあり、そのような無念をそのまま放置することも正義とはいえません。
どのような方法が有効でしょうか
企業や団体の利益のために人命を軽視する考え方を改めさせるには、いろいろな方法が考えられます。
一つは「行政指導」という方法があります。
人命に影響するような活動をする企業や組織に対しては、安全確保のため国や自治体による様々な行政規制があり、
重大な違反をした場合には、許認可の取消処分により企業活動ができなくなる制裁が科せられます。
企業は、そのような制裁を受けたくないため、安全基準を守ることになります。
この方法は、こと細かな規制と迅速な制裁が可能であるという利点がありますが、全ての事態を事前に予測して規制することは不可能という欠点があります。
大事故の場合に、関係者から想定外であったとの弁解がしばしばされることが多く、規制が後追いになることも少なくありません。
また、行政庁は社会的影響力の小さい中小企業には厳正に対処するものの、影響力の大きい大企業に対しては甘いという批判もあります。
行政指導のみに期待することでは十分とはいえません。
次に、企業に民事裁判で「懲罰的賠償」をさせることにより、安全性を確保させることも考えられます。
たしかに、安全性軽視による事故により巨額賠償の責任を負わされるということになれば、企業は事前の安全対策に投資することになりますから、有効な方法と考えられます。
アメリカで採用されている制度です。
しかし、組織罰と同じく、これまで日本には無いこの制度を創設するには数々のハードルが考えられます。
また企業利益のために安全対策を怠り、重大事故を発生させた場合に、民事賠償のみで済ませることに被害者や社会が納得するでしょうか。
交通事故の場合でさえ、行政処分、民事賠償、刑事罰と3種類の制裁があるのに、との思いは当然ではないでしょうか。
懲罰的賠償は有効な方法ですが、これのみで足りるとは思えません。
最後に、刑事罰による制裁が考えられます。
事故発生の責任者に適切な処罰がなされることは,被害者や社会に一定の納得を生み、加害者にも贖罪意識を持たせる機能があり,事故の防止と社会の安定につながります。
しかし、交通事故の場合には、加害者は容易に特定できますが、企業活動の結果発生した事故のような場合には、加害者がなかなか特定できないこともよく起こります。
それは、企業活動が、多くの複雑な原料や機器、大規模なシステム等に依存しているからです。
トップの社長さえその全容を把握できていないことも少なくありません。
大規模事故でしばしば個人の被告人に無罪が宣告されるのは、そのような実態を反映しています。
そこで、死傷者が多数発生した事故において、企業の安全対策がしっかりしていれば防げたという場合には、個人ではなく企業そのものを処罰する刑事裁判のシステムを創設することにより、
被害者、社会のみならず企業にも自省を促し、その結果、悲惨な事故を防止し、かつ社会の安定を図る効果が期待できるのではないでしょうか。
近年の事故をみると、その必要性はますます増加している感じがしますが、いかがでしょうか。
これが、私たちが組織罰を実現させたいと考える動機です。
両罰規定とは
日本の刑事処罰は個人を対象としていると前に述べましたが、実は刑法以外の特別法においては、企業の犯罪(主として過失犯ですが)が発生した場合に、事故発生の責任者のほか企業に罰金を課す、
という両罰規定が多数存在します。
事故発生の責任者の監督を怠っていた法人の間接的な責任を問う、という構造です。
この規定が機能すれば、企業の安全対策はそれなりに進むことになります。
ところが、あくまでも、個人の責任が認められることが前提となっているため、個人の責任者が特定できない場合には、
法人の責任を問えないこととなるという欠点があります。
また、罰金額の上限が低い規定が多いため、企業があまり痛痒を感じないことで実効性が乏しかったのです。
企業等の法人に、必要な安全対策を怠ったことの直接責任を問うという法制度(本来の組織罰制度)はすでに欧米の多くの国で採用されています。
しかしながら、この制度を日本へ導入するについては、
残念ながら、慎重な意見の学者や実務家が少なくないのが現状です。
そこで、我々は、すでに我が国に定着している両罰規定を活用し、その欠陥を補うことができないか、現在検討中です。
具体的には、罰金額の大幅引き上げ(例えば資本金額まで)、従業員個人の責任がないことの立証責任を企業側に負わせることなどです。
皆様から良いアイデアがあれば参考にしたいと考えておりますので、是非お寄せ下さい。
また、国会への働きかけのため、組織罰を実現する会への賛同署名もどうかよろしくお願いいたします。
03
組織罰の必要性(2)
組織罰はなぜ必要なのでしょうか(2)
平成29年4月10日
組織罰を実現する会 顧問・弁護士 安原 浩
組織罰という聞き慣れない罰則の新設を粘り強く訴えている人たちがいます
どんな人たちが組織罰の実現を目指しているのでしょうか
寒風吹きすさぶ中、あるいは猛暑の中でも駅頭などに立ち、通行する多くの人たちに組織罰の必要性を訴え、宣伝ビラを配り、署名をお願いしています。
この人たちは、福知山線脱線事故や笹子トンネル天井崩落事故などにより、大切な家族を失った遺族の方々とその支援者です。
4月8日に当会が開催したシンポジウムには、関越自動車道高速バス事故の遺族の方、軽井沢スキーバス転落事故の遺族の方も参加され、賛同の意向を表明されました。
また、そのシンポでは、軽井沢スキーバス転落事故でゼミ生を4人失われた尾木直樹法政大学教授からも、そのときの驚き、悲しみ、負傷した学生らが今なお自責の念に苦しんでいる様子などのお話とともに、
組織罰創設に強いご支援のお言葉をいただきました。
どのような思いで遺族の方々は頑張っているのでしょうか
駅頭などの活動の結果、組織罰新設に2500名以上の皆さんの賛同署名をいただいておりますが、まだまだ多いとはいえず、ビラに全く関心を持たれない方、
署名簿の前を足早に通り過ぎる方も少なくなく、世間の関心を集めているとまではいえないのが現状です。また、立法のため国会を動かすには足りないと痛感しております。
しかし、遺族の方々は、そのような厳しい現状の中でも、諦めず今後も粘り強く運動を継続しようと考えております。
それは、肉親を失った悲しみや悔しさ、怒りは、年月の経過によって次第に薄れていくものではないからです。
誰しも、発生した悲しい結果を認めざるを得ないことは間違いありませんが、残された遺族にとって、事故を発生させた側の誠意ある謝罪や賠償、事故原因を究明した上での再発防止策の実現など、
家族の死が全くの無駄死ではなかった思える場合には、時の経過が遺族の思いを和らげることはあり得ます。
しかしながら、加害者側が遺族に納得できる対応をしなかった場合には、遺族の思いは時の経過によって和らぐことはなく、かえって強まるものなのです。
組織罰は遺族だけに必要なものでしょうか
かつて、藤木英雄東大教授(故人)は、「科学技術の成果のもたらす大きな災害事故、交通事故、産業廃棄物による公害、工場等の爆発事故、建築事故、さらには医療事故、薬品や食品の事故など、
各種の災害事故という災厄を防止するために、-中略-事前規制の網をくぐって発生する現実の危害に対しては、将来を戒めるという趣旨で、刑罰を用いることも必要である。
-中略-(刑法の過失犯関する規定は)単なる個人行動ではなく、システム化され組織化された活動として行われる企業活動のもつ破壊力から共同生活の安全を守る、
ひとつの重要な手段としての役割を担わされることになったのである。」と主張されました(藤木英雄編著「過失犯-新旧過失論争-」13-14頁・学陽書房・昭和50年刊)。
藤木教授は、このような危機意識を前提に、悲惨な結果を前もって具体的に予見できたか否かを中心に考えてきた従来の過失犯の解釈(具体的予見可能性説)に反対し、事故を具体的に予見できなくても、
重大事故が発生するかも知れないと予見(危惧感)でき、あらかじめ事故を回避できる態勢などを容易に構築できたのに、そのような態勢をとらなかった場合には、
過失犯として処罰すると解釈すべきであるとの新過失理論(回避可能性説)を提唱されました。しかし、この説は森永ヒ素ミルク事件の判例で採用されたこともありましたが、
結局、過失犯の範囲を拡大しすぎるとの反対論から、いまだに通説判例とはなっていません。
それでは、藤木教授の危機意識から約42年後の現代は、企業活動による大規模災害から共同生活の安全が守られているといえるのでしょうか。藤木教授の危機意識は誤っていたのでしょうか。
逆に、原発事故に代表されるような悲惨な企業災害は、ますます増加し、深刻化しているのではないでしょうか。
現実に被害に遭われた遺族方々の思いは、個人的な悲しみ、悔しさにとどまらず、人生を一瞬にして暗転させてしまうような思いを、他の人たちに決して味あわせてはならない、との気持ちも強いのです。
それは、企業活動と科学技術の高度化に対し、そのマイナス面(大規模災害の発生の危険)の抑制技術や理論が決定的に遅れている日本社会では、決して杞憂ではありません。
社会の共同生活の安全を確保する責任がある国は、一刻も早く、大規模災害の発生を未然に抑制するための法整備をはかるべきと考えます。
組織罰は有効な方法といえるでしょうか
われわれは、企業などの組織の安全対策の手抜きが原因と考えられる事故により死者が発生した場合には、事案に応じて企業等の組織に高額の罰金を科す法制度(組織罰)の創設を主張しています。
これまでにも、事故発生の引き金となった現場の労働者とともにその雇用主や企業に罰金を科す制度(両罰規定)は存在しました。
従って、死者が発生した重大事故に限り、過失の認められる従業者とともに企業にも罰金を科す制度は、格別目新しいものではなく、法律上の問題点はありません。前記新旧過失論の論争に巻き込まれることもありません。
しかし、これまでの両罰規定の罰金額の上限は、おおむね低額で企業活動に痛痒を与えるものではありませんでした。
これに対して、企業活動にリスクを感じさせるだけの高額の罰金(例えば、資本金額や企業の前年度の資産額を上限とするなど)を科せば、企業は安全対策に十分な人の配置と投資をせざるを得なくなり、企業事故の発生が抑制できると考えられます。
組織罰の制度は、利潤獲得のために、企業活動の拡大と高度化をはかる企業に対する、重大な警告となるはずです。
藤木教授と同様、刑罰のみで、事故抑制ができるとは考えられませんが、一つの有力な方法といえるのではないでしょうか。
どうすれば実現するのでしょうか
「組織罰を実現する会」では、さらに署名集めやシンポ開催などの広報活動を続け、できるだ多くの方にご賛同頂くよう努力したいと考えております。
また、いろいろな態様の事故の被害者遺族の方々と連帯を図り、運動の幅を広げ、さらに多くの方のご理解とご支援を得たいと考えおります。
ホームページをご覧の皆様には、電子署名の方法もありますので、できるだけ多く周りの方広めていただき、賛同署名をいただけば幸いです。
われわれとしては、なんとか年内には国会議員に対する働きかけを具体化したいと思っております。
また、高額の罰金を科する具体的法制度の詳細についても、協力弁護士、研究者等を交えて検討を続ける予定です。
このような罰則の新設に消極的と考えられる企業側には、企業の社会的責任、すなわち、企業活動の結果、社会に多くの利便がもたらされ、多大な利潤が得られる反面として、
社会に対して危害を及ぼす危険のある企業活動には、事前に十分な事故回避措置をとっておくのが共同社会の一員である企業として当然の責任であり、賢明な経営者のとるべき態度であること、
すなわち組織罰は、企業が共同社会の一員とし発展存続するためにも必要であることを強調していきたいと考えております。